卒業生の声 牧村 彰夫さん
Graduate's Voice
工夫もアイデアも努力も
すべてはお客様の喜ぶ顔を見るために。
店主
牧村 彰夫さん
調理師本科卒業(1979年3月)
服部栄養専門学校を卒業後、赤坂の料亭で8年間修行をしたのち、27歳で初めて自身の店を持つ。その後、ミシュランガイドで3つ星を獲得することになる「まき村」をオープン。日本料理店ならではの組み合わせ方で新鮮なおいしさを楽しんでもらいたいと、旬の食材の最もおいしい瞬間を味わえる料理を生み出し続けている。ミシュランガイド東京の3つ星を2015年から7年連続で獲得中!
料理の道へ進むことになった理由は?
実家が寿司屋なので、子どもの頃からよく店を手伝っていました。忙しく、「勉強する暇があったら手伝え」という考えの親でした(笑)。手伝いが終わらないと遊びにも行けないので、子どもながらに要領よく仕事をこなす能力が身についたと思います。
家が料理屋という環境で育ってきましたが、自分自身は料理が楽しいとか好きとか、そんな感情が芽生えることはなく、深く考えずに進路を決めました。いま思えば「高校を卒業してそのまま働くよりも、どこか専門学校にでも行って少し遊んでから就職でもいいか…」くらいの考えでした(笑)。当時流行っていた料亭を舞台としたテレビドラマに影響されて「料理人もカッコいいな」と軽い気持ちだったので、まさかここまで続くとは思いもしませんでしたよ。
服部栄養専門学校ではどんな学生でしたか?
あまり真面目ではなかったですね(笑)。そもそも料理人になりたいというより、「店を持ちたい」という気持ちが強かった。店を持つために料理人になる、そのために頑張って卒業する、という目的意識でした。興味のある日本料理の実技だけは必ず出席して、それ以外はあまり身が入りませんでした。まわりが優秀な学生ばかりで悪目立ちしていたかもしれませんが、そんな私が今は料理人として店をやっているのだから不思議なものです。
当時の同級生たちや先生とは今でもたまに集まることがあります。1年間でしたがいろんな意味で濃い学生生活だったと思います。
27歳で独立開業。初めてお店を持って苦労したことは?
服部栄養専門学校を卒業後、赤坂の料亭で8年間修行をしたのち、念願の「自分の店」を持つことになりました。たまたま大森で5坪ほどの小さな店をやってみないかと声をかけられ、チャンスだと思いすぐにその話に乗りました。「自分たち(夫婦)が食べたい料理を手頃な価格で提供しよう」というコンセプトで妻と始めたカウンターだけの小さな店。当初はバブル期の頃だったのでお客さんが大勢来てくれました。
しかし、しばらくするとお客さんが来なくなり、店の存続の危機という瀬戸際に。あらためて料理人としての実力不足という現実を突きつけられました。そこで初めて真剣に本を読み勉強し、評判の店へたびたび足を運びました。その頃は借金もありましたし、もうやるしかないと必死でしたね。
瀬戸際でがむしゃらの3年半、本当に大変でしたが、その苦労があったことで今の料理のスタイルが固まっていきました。試行錯誤の末、週替わりのコース料理が少しずつ注目を集めるようになり、「まき村」の原型ができたと言えます。
ミシュラン3つ星「まき村」のこだわりとは?
吟味した旬の素材の持ち味を引き出し、四季折々の味覚を楽しめる和の空間として評価をいただいています。奇抜さで驚かせるというのではなく、感動してまた行きたくなるような店、「今日は何が出てくるんだろう」とわくわくさせるようなそんな店でありたいと思っています。
当初、おいしさで驚かせようと、材料も味付けも足し算ばかりしていました。ところがあるとき、評論家の方に「押しが強すぎる。食べていて疲れる」と言われてしまいました。そのときから、足していくばかりではなく、引くことを意識するようになりました。
素材や味を足すことは簡単ですが、引くことはとても怖いものです。見極めて引き切って、最後に強烈な足し算をひとつ。特に日本料理はその最後の足し算が重要で、その季節の旬をひとつ加えることでぐっと魅力的になります。奇抜な足し算ではなくて、正当な足し算というかたちで、よりおいしくなり、洗練されたものが出来上がります。
たとえば焼きナスの上に炊いたアナゴ、おいしく炊いた里芋に牛肉。寿司屋では絶対にやらないような、日本料理店ならではの組み合わせ方で新鮮なおいしさを楽しんでもらいたいと思っています。また野菜離れと言われるような若い人が喜ぶ献立など、世代の好みも意識しながら常に模索しています。
コロナ禍でお店の状況は変わりましたか?
打撃を被っている飲食店が多い中、うちは以前と変わりなくやっています。キャンセルもほとんどありませんし、席数がもともと少ないから大きな影響はないですね。変わらず足を運んでくださるお客さんたちに本当に感謝しています。
長いこと料理をしていると、旬の食材の最もおいしい瞬間というのが感覚的にわかってくるようになってきます。「一番おいしいのは今だ!」と。そのときさっと動いてその瞬間を切り取る作業、若い時はそれにすぐに反応できるのですが、それがだんだん鈍くなってきます。だから質を落とさないように、改装のたびに席の数を減らしてきました。若い頃なら多数の客席、同時に何品も調理することができましたが、今そうしようと思っても旬の瞬間を切り取る機敏さが前のようにはない。受け入れるお客さんの数が少なければ、十分対応できるので、料理の質を保つために徐々に席数を減らしています。
料理人にとって一番大切なこととは何だと思いますか?
お客さんを楽しませたいという気持ちだと思います。お客さんの喜びを自分の喜びと思えるかどうか。それが料理人として一番大切なことではないでしょうか。
朝5時に起きて市場に行って仕込みして店を開けて夜は11時、12時まで。なぜやるのかと聞かれたら「お客さんを喜ばせたいから」、それしかないですね。お客さんの「おいしい」という一言ですべてが報われる気がします。それは一緒に苦労してきてくれた妻も同じ気持ちです。
世の中には多くの優秀な料理人がいて、皆さん厳しい環境で腕を磨き、職人として活躍されていると思います。それは素晴らしいことで、職人のこだわりや伝統を提供するのも正しい店のあり方ですが、私はいつも料理人としてではなく、お客さんの視点で料理を考えています。料理の量や出てくる順序に不自然さはないか、自分が客だったらどんなふうに思うだろうか。習ってきたことをそのまま正解とするのではなく、お客さんになったつもりで考えることが大事だと思います。
だから献立も緻密に計算して考え抜いて作っています。でもその計算をお客さんに勘づかせてはならない。それに気がついてしまうと、お客さんは疲れてしまいますからね。しかしたびたび足を運んでくださるお客さんがそのことに気付いてくれたときは、すごく嬉しいですね。
料理の技術はもちろん重要です。でもお客さんへの心遣いや自分で考える力は、同じくらい大事だと思っています。逆にその心さえあれば何とかなると思います。